建築は、デザイン的な側面、性能的な側面、コスト的側面、文化的・社会的な側面、いろいろな視点で眺めることができるものです。これは建築の面白さです。
ところが、ある建築を総合的に評価しようとすると、とたんにどの立場から言葉を発したらよいのかわからなくなってしまいます。評価軸がたくさんありすぎるからです。
だから「デザインはいいけど暮らすのは難しそうだな」といった感想がよくおこります。それはよい建築なのでしょうか、悪い建築なのでしょうか。
私は建築を評価することに自信を持っています。ここでいう「建築」とは「住みやすい住宅」とは若干違うかもしれません。もう少し多くの文脈を含む建物のイメージです。
では私がどういう目で建築を見るかといえば、それは「複雑さ」があるかないかです。そういう目で見れば建築の本質的な良し悪しを見抜くことができます。良し悪しとは、言い換えれば価値観が変化する世界で永く使っていく意味があるかどうかということです。
デザイン優先、アイディア優先、性能優先、コスト優先、が簡単に見透かされてしまう建築は、ほとんどのものは価値がないと私は考えます。
建築の総体としての価値は、設計者が様々な建築の側面に対して逡巡した痕跡があるかないか、ずばりそこにあると考えます。
迷いなく性能を捨て去りデザインの完成度だけを求めた建築は、いかに美しい空間を持っていてもそれは人間の複雑さに比して単純すぎ、すぐに飽きが来ます。
デザイン優先の建築はあってもよいのです。しかしそれでいて価値ある建築というのは、なぜ他のクライテリアを捨てたのか、その思考の跡が見えます。取捨選択の十分な思考がされていれば時代が移り見る目が多少変わっても建築は生き抜くことができます。
人間は複雑な生き物です。人間を包む建築が、その複雑さに追いつこうとしないで何の意味があるでしょう。
私たちが住宅の断熱性能にこだわるのも、快適さを求めるからであるのは当然ですが、同時に、何かを簡単に捨てれば建築の複雑さを保持できない、だから何とか踏みとどまりたい、そう考えるからです。