My Architect, a son’s Journey Film

気持ちの良い午後のひととき。ひとり家で ”My Architect, a son’s Journey Film” をみました。10年以上も前の映画ですが、なんと公開当時から気になっていました(^^)。

1974年に亡くなった建築家ルイス・カーンを父に持つナサニエル・カーン(正妻の子ではない)が、父の残した建築を旅しながら、同時代の建築家や事業家、一緒に過ごした女性らの話を聴き、自らの心の中にもう一度父を刻んでゆく、映画人でもある本人が製作したドキュメンタリー映画です。

建築抜きにしても、ルイス・カーンの自由で感情豊かな人生を淡々とおっていく映像とインタビューは、とても見ごたえのある映画でした。代表作のひとつ「ソーク研究所」の中でのインタビュー映像もとても美しく、カーンの建築家としての才能にも改めて感動します。

 

ソーク研究所 ルイス・カーン設計 (wikipediaより)

 

 

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快適な家づくりをめざしての

久々の更新になります。

先週1週間あわただしく過ごす中、木、金と丸2日間、「省エネ建築診断士養成講座」を受講してきました。

世界の省エネ住宅事情から、断熱材のこと、省エネ性能を確認するコンピューターソフトの使い方まで、実務で省エネに取り組む上で必要なことを幅広く網羅する、大変内容の濃いセミナーでした。

この本の著者、松尾和也さんも講師としていらしていました!

大江戸線飯田橋駅

渡辺誠さんが設計し日本建築学会賞を受賞された都営大江戸線の飯田橋駅。

最近、何度か続けて通りました。通るたびにデザインすることについて考えさせられます。

緑色のチューブの天井は、眺めていて写真を撮り忘れてしまいました!

蛍光灯の照明も、深い地の底からのぼっていく感じとあっていて、とてもいいです。

 

 

 

 

 

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超音波探傷検査

また鉄骨造の話をひとつ。
鉄骨造では必ずたくさんの長さの溶接がされます。この溶接部の強度を保つために、超音波探傷(たんしょう)検査というものが行われます。溶接部の中に穴状の融合不良が起こる場合があり、その穴の内面に反射する超音波を検出する検査方法です。現場での溶接箇所があれば、検査器具を現場に持ち込んで検査を行います。
鉄骨造では、このような見た目ではわからない傷も逃さないようにして、品質が保たれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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バラガンの住宅建築-2 積極的に風景に埋没すること

ルイス・バラガンの住宅建築のつづきです。バラガンの住宅には、自邸に見られるような「そっけない外観+豊かな内部空間」という対比的な特徴がある、というところまで前回書きました。

この内外デザインの温度差は、建築のデザインとは内外違わず徹底して行うべきと刷り込まれている頭には新鮮なものだし、私がぼんやりと考えていた住宅建築のあるべき姿にも思えて、ここをうまく説明できないかとずっと思っておりました。今日はそこにトライしてみます。そのためにまず住宅という建築が他の建築と何か違うところがあるのか、そういうところからはじめてみます。

私は、住宅と、公共建築・大型建築とは相当な違いがあると捉えています。「住宅はあらゆる建築の基本」という言説が昔から多数見られますが、私にはある一面ではそうは思えないところがあります。

それは住宅は個人の持ち物であるということと関係します。

まず、公共建築は、

・みんなのものだから、誰か一人が自由につくることはできない

・みんなのものだから、まちの中で周囲との調和を超えた誰もが認識できるようなシンボル性が必要

そういうものです。

公共建築や大型建築は、誰かの好みでつくるわけにはいかず、時代の大義名分を踏まえた組織的な議論を経てつくるより他ありません。また、利用者に認知してもらうために一定度「目立つ」必要があります。あるいは、共有の資産であることを表現する形態上の特徴(=シンボル性)が求められます。

住宅はこれがまったく逆です。

・個人のものだから、誰か一人が好みで(法律の範囲内で)自由につくっても咎められない

・個人のものだから、まちの中でシンボル性を必要とする理由があまりない

「そっけない外観+豊かな内部空間」といったあり方はこの2点に沿うものです。
ここでいう住宅の「まちの中でのシンボル性」については建築の専門家の中でもっと議論されるべきことです。いま世にあふれる建築系のメディアを見れば、特徴の強いシンボリックな外観を持つ住宅建築がたくさん見られますが、私には多くのものは、どう好意的にみても設計者の表現欲発散以上の意味を感じることができません。

ここでバラガン自邸に戻ります。もう一度その外観を見てみましょう streetview 。特に何も感じない建築がそこあるだけ、といった具合に形態上のクライマックスのないものが建っています。

ここはよく考えるべきところです。建築家バラガンが、自分が設計した建築の外観に何の意図も込めないことがありうるでしょうか。私はこの建築で彼は風景に埋没する住宅、というあり方を提示していると思うのです。これは言いかえれば住宅においては空間以上に大事なものはないという主張です。左隣のピンク色の家は実は彼が設計した旧自邸、後のオルテガ邸なのですが、同様にかなり凡庸な見た目です。両邸の境目は判然とせず、多くの建築作品に見られる完結性・自立性とは程遠い様子です。バラガンを論じた書物の多くはその内部空間の魅力を説明しようとしていますが、私はむしろこのバラガン自邸の外観のあり方がとても気になります。

そこに住む立場になれば、自分の家を素敵に見せたいという気持ちは当然であり、住宅の外観は整ったものである必要はあります。しかし過度な個性やシンボリックな表情は必要でしょうか。
地味な外観とそこからは想像できないような魅惑的な室内という、バラガン自邸のようなものを積極的にとらえたとき、今ならどんなものがつくれるだろう、夏の終わりの休日をそんな妄想をしながら過ごしました。

 

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