大江戸線飯田橋駅

渡辺誠さんが設計し日本建築学会賞を受賞された都営大江戸線の飯田橋駅。

最近、何度か続けて通りました。通るたびにデザインすることについて考えさせられます。

緑色のチューブの天井は、眺めていて写真を撮り忘れてしまいました!

蛍光灯の照明も、深い地の底からのぼっていく感じとあっていて、とてもいいです。

 

 

 

 

 

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今日は Georges Braque

何か忘れ物はないか、やり残していることはないか、そんな思いにばかりとらわれ、自分自身を見失ってしまいそうなときには、少しだけ立ち止まって、ジョルジュ・ブラックが描いた鳥たちを心に思い浮かべます。

静かなブルーの濃淡の中を飛ぶ鳥。1羽だったり2羽だったり。街の音ははるか遠く、ただ鳥たちだけが舞っています。

呼吸を整え、鳥たちが風を切るときの冷たい空気まで思い浮かべられたら、少し廻りが見渡せるようになっている気がします。

 

今日は Georges Braque。怪我をする前に、立ち止まってみます。

 

bird passing through a cloud

 

ザハの80年代

ザハ・ハディドは、コンペに勝ち2020東京オリンピック・パラリンピックのメインスタジアム設計者に指名され、急に日本でも名が知られるようになりました。その後の契約中断、再コンペというごたごたのなか、昨年3月に65歳で急逝してしまったことは驚きました。

彼女に、実現する建築がほとんどない「アンビルト」と呼ばれる時代があった、そのへんまでは報道もされていますが、そのころの活動内容までは一般のメディアではなかなか紹介されません。今日は久しぶりに昔の作品集を開き若いころの彼女の作品を思い出してみます。

彼女は80年代に個性的な建築、都市のドローイングでその名を知られるようになりました。いま世界で実現している彼女の建築は、にゅうーっと引き伸ばされてつながっていくような形が多いですが、そのころのドローイングに描かれる建築はそれとはやや異なります。当時は、小さな断片が空中にばら撒かれ浮遊するようなイメージを描いています。これは近代ロシアの芸術家マレーヴィチの影響が大きいのですが、ザハ・ハディドの絵は、まるで無音の宇宙空間の出来事を描いているようなひんやりとした質感が独特です。人が使う建築を描きながら人間はおろか生き物の気配がまったく感じられない様は、新築の廃墟に迷い込んだような不思議な感覚をうけます。もうひとつの特徴は、ゆがんだパースペクティブの使用で、これは晩年まで一貫して見られるもので、彼女の生涯の関心ごとだったことがわかります。

もちろんこれらは(CGではなく)手描きのものであり、純粋な絵画作品としてみても質が高く魅力的なものです。私はこのころのドローイングが好きです。

当時私は、これらのドローイングはなかなか建設に至らない彼女の表現欲を発散・爆発させる場だと思っていましたので、パワーやエネルギーといったものを感じていました。しかし今あらためて見て、それぞれの絵は緻密に丁寧に描かれたものであるのがわかります。彼女の中の静かな部分を見る気がします。彼女は21世紀に入り大胆で複雑な造形の大型プロジェクトを次々に実現していきますが、そういう建築の実現の裏には一般の建築の何倍もの膨大な地道な作業があるはずです。建築に向かう忍耐強さという点で、若き日の丹念に手で描かれたドローイングと連続性がある気がします。

 

 

 

モンドリアンのなかの「近代」

『赤・青・黄のコンポジション』などの、近代を代表する抽象絵画を残したピエト・モンドリアン。初期には具象画を描いていたのが、徐々に変化して抽象画に到ります。15年ほどの短い間の変化です。この変化の過程を見ると、やはり『赤・青・黄のコンポジション』は偉大な到達点であるといわざるを得ません。
モンドリアンの生きた20世紀初頭には、建築の世界では、装飾において植物という具体的なモチーフを持っていたアール・ヌーボーの誕生から20年たたないうちにル・コルビュジェやミース・ファン・デル・ローエが活動を始めます。彼らの建築は「構成」という全く新しい抽象的なテーマに沿ってつくられていきます。この時期は、近代社会の、あるいは人類史上のもっともダイナミックな変革の時代であったのです。
モンドリアンの絵画の変遷を見ると、一人の人間の中にまるで当時の世界の変化をモデル化したかのような流れを見ることができ、そのあまりにも鮮やかなあり方が興味をそそります。