恵比寿での計画2

 

さきに上げた恵比寿の計画が進んでいます。ようやくもうすぐ着工というところまで来ました。このビルは各階の窓が少しずつずれながら螺旋上昇するような外観デザインですが、それを考えついた時のスケッチです。飲食店などを想定しているので、少し遊びのあるデザインにしたいというのと、やたらと窓面積を大きくしたくない(コストや熱環境への影響が大きそうだから)、という思いがありました。上は整形のカーテンウォール案で、下は螺旋案です。総窓面積が小さくなり、ゆらぎの感覚が生じているのがお分かりいただけると思います。ここから約10か月かけて、工事が始められる状態まで計画がまとまりました。

 

 

恵比寿での計画

 

恵比寿駅からほど近いところで進んでいる計画です。実施設計をまとめているところです。鉄骨造です。

 

 

panorama からの眺め

集合住宅panorama、アップが遅くなっており。

かわりにこんな写真を。

隅田川水面の表情、なんと豊かなことか。

上流に向かって漕いでおられます。

 

 

 

 

空虚な空間

空虚。英語だとemptiness。からっぽという意味もありますね。「虚」(むなしい)という字で否定的な表現に使われることもありますが、「からっぽ」なら良いも悪いもないです。

空間における空虚さに関心があります。

例えばこの写真。リノベーションのために内装を解体した姿です。ついこの前まであった住宅の内装が取り払われると、家だか商店だか倉庫だかわからないことになってしまいます。空間の「意味」が取り払われた空虚な状態といえるでしょう。

名前のつけようがない場所、管理の行き届かない場所。からっぽですが希望があります。「空き地」というものも空虚な場所です。しかし今の都心では空き地はほとんどなくなってしまいました。コインパーキングが空虚さを駆逐してしまいました。東京の都市空間には、さまざまな力を逃す「遊び」がほとんどなくなってしまいました。

からっぽの空間。これから何でも起りうるゼロの地点。これ以上に可能性をはらむ状態があるでしょうか。

空間を設計するとき、できるだけこの「開かれた」空虚さを殺さないようにしたいと思ってます。しかし設計するということは、そこに意匠性、機能性、耐久性…、という意味を何重にも付加して「固めていく」「閉じていく」作業です。

もちろん、空虚をただ放っておくのでは設計になりません。しかし空間に意味、記号が充満しすぎれば想像力が羽ばたく余白がなくなります。

その矛盾を超えていくことは、設計の最も根本的な難しさだと思います。(そんなことを考えている設計者がどれだけいるかはわかりませんが)

盲目的にデザインや機能を追求する姿勢は、空間の原初的な可能性から目を逸らしてしまいます。要件を満たしながら、出来合いの意味やイメージが付着していない無垢で空虚な空間、これが理想です。

 

 

 

 

 

「panorama」現場 10月4日

 

今日のpanorama現場です。

設備類の取り付けがほぼ終わって、仕上げ工事の最終段階に入っています。

エントランスの正面に見える演出的な照明です。スリットをつくってライン照明を入れています。LEDの劣化による照度減少を考慮して照度は高めに設計しています。調光スイッチとしており、はじめのうちは光量を抑え気味にしてつかう想定です。エントランスは照明で雰囲気が決まるところもあります。明るすぎて「?」となることも。調光できると便利だと思います。