「H2プロジェクト」上棟

 

今年は鉄骨建築の現場が続いています。

今日、H2プロジェクトが上棟しました。

途中豪雨があり心配しましたが職人さん方の慎重な作業のおかげで無事終えることができました。

写真は、組みあがったフレームを1階から見上げたものです。

立体格子の様子がよくわかります。

この、フレームだけが積層する状態はこの上棟の時しか見ることができないものです。

 

 

 

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「panorama」現場 5月6日

今日のpanoramaの現場です。

隅田川を行く水上バスを横目に屋上防水の打ち合わせです。

GW的な今日はレジャーボートも行き来していました。

何とも楽しい光景がやり取りの緊張を和ませます。

好天の今日、屋上での打合せで日焼けしてしまいました。

 

 

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same scale elevations

「鉄骨住宅」のページにのせている画像なのですが、これまで設計してきた都市型の住宅系建物からピックアップして、立面図を並べています。縮尺を合わせてあります。

 

 

 

 

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「panorama」現場

panoramaの現場です。外装パネルが付きました。

5階の様子です。ルーフテラス越しに隅田川が見えます。

 

 

 

 

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都市の大きさ

昔、建築家槇文彦氏が、都市では多くの人がいるにもかかわらず孤独を味わえる・匿名の存在になれる、という主旨のことをある本に書いていました。その部分が記憶に残っています。

その本では、近代都市での人と人の関係を示すイメージとして、点描の画家として知られるジョルジュ・スーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』という絵がとりあげられています。グランド・ジャット島はパリ、セーヌ川にある中州状の島です。この絵では、たくさんいる人々(画面内に約50人)が互いに視線を交差することなく思い思い時間を過ごしている様が描かれています。スーラは19世紀後半にすでに都市での人の関りを理解していたのだと思われます。

私が槇氏の文章に共鳴したのは、東京にその都市像が重なったからに他なりません。

考えてみれば、高密度に人がいてもそこにコミュニティがないという状態、あるいはパブリックな場で個人的な空間を身の回りに発現できるということは、かなり不思議なことです。これは都市に固有のことであり、またひとつの自由さです。ちょっと出かければまるで外国に来たような解き放たれた気分を味わえるのは東京のような「大」都市の魅力です。

一方、京都を訪れたとき、もしここで暮していたら繁華街で知人にばったり出会いそうだと思ったことがあります。街のなかで人の連鎖がおこりそうな感じがあります。それも楽しいことなのかもしれません。福岡も同じような感覚を生むスケールの街です。

東京も京都も福岡も同じく「都市」ととらえられる場所ですが、その中にいて感じることには違いがありそうです。それは都市の規模に関わるところが大きいのだろうと思います。

 

 

 

 

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帰ってきました、紙に。

iPadにApple Pencilで建築のスケッチをすることをしばらくやって来ました。良いところはたくさんあります。なによりペーパーレス。スマートです。寝ころんでしっかり仕事ができたりもします。pdfの図面に直接手書きコメントを書きすぐメールで送れるのは非常に良いです。

しかし約3年、常に最適なドローイングアプリを探しつつ使ってきて思うのは、「描くことで脳が動き出す感覚が足りない」ということと、それでいて「どこか無駄に頭を使う気がする」ということです。紙の上にスケッチをするのと明らかになにかが違うのです。

iPadの画面に紙のようなざらざらしたシートを貼ってペン先が滑らないようにし紙の描き心地に近づける方法もあるようですが、ここまで使ってきておそらくそれをやっても紙との違いは埋められないだろうと推測します。かなりよくできたアプリもあります。ちょっとものを書くのには全く不自由ありません。遅延もほとんどなくすらすら描けます。

でもなにかが違うのです。

iPadと紙はなにが違うのでしょうか。

私なりに考えてみました。

一つはペン先の感触の問題で、もう一つは書いたものの置いてある場所の問題だと思いました。

続きはまた。

 

 

 

 

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